箕面で約90年。内科・外科・健診・予防接種・訪問診療は久原医院へ。
今では信じられませんが、風呂やトイレの時もポケベルを肌身離さず持たされた平成の始め、働き方改革やハラスメントの概念すらなく、軍隊か体育会部活のような縦社会の毎日でした。土日も院内で寝泊まりさせられた外科研修医は「何も知らず何も出来ないジャマな存在」とボロ雑巾のようにこき使われました。実際はじめはその通りで、担当患者さんに「ベタ付き」することしか出来なかったので原点となる基礎体(耐)力や寄り添いが自然としみこみました。
しかし、地方の機関病院へ派遣されてからは徐々に任せていただく(人間扱いされる:笑)ことが増え、消化器を中心とした多くの手術のみならず、患者様やそのご家族とのじっくりと深い交流を通じて、様々なことを教わりました。「若い時の苦労は買ってでもせよ」と、縁もゆかりもない(ように当時は思えた)非効率で非合理的な寄り道や廻り道もたくさん通ってきましたが、それは決して無駄ではなくむしろ今日につながっていると今は思えます。このように手術以外にも外来、検査、救急、術後全身管理に終末期医療と多彩で濃厚、時にはもうろうとしたりフラフラになったりしながら過ぎ去った勤務医時代でした。
そんな外科生活の中で医療をめぐる環境も激変し「昔の常識は今の非常識」となった部分もありますが、実は大前提として生活習慣病を中心とした内科学がすべての礎として貫いていることは、今も昔も変わりません。また大学院では臨床の傍らで、研究においてさらに柔軟で緻密な発想や深い考察が養われました。「考える」ことを徹底的に鍛えられた研究生活もまた今の糧になっています。先輩の先生方や共に切磋琢磨した同僚、後輩先生のみならず、共に働く医療従事者の方々にも育てられました。このように人と運に恵まれて今日に至っているのは、とても幸せなことだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ところで、当院を創設した1900年生まれの祖父は「コーラみのお」という当時まだ珍しかった市民合唱団を創設し、その初代指揮者でもありました。父と母も属していましたし私も幼稚園の頃ステージに立たされた記憶があります。その祖父がまだ戦前の昭和5年(1930年)に開院して約40年、その後を叔父が約40年、そして、そんな中2009年には私にも自分の在り方を考えざるをえない時期が来ました。まずは広く診れる開業医の道は、大学を中心とし細分化や専門資格化の進む「白い巨塔」から外れるものでありたいへん悩みましたが、気がつけば心はやはり縁もゆかりもある箕面での「町医者」へ向かっていました。幼いころに祖父や叔父たちの中に見た近所付き合いの中にある普段着のさりげない医療が、私にとっての医師の原風景でありルーツなのかなと感じたからです。
長きにわたりいただいている信頼の一つ一つを大切に受けとめ、古き良き時代の温もりを紡いでいきます。一方、時代に即しアップデートするべく自己研鑽を心掛けて改めるべきは改め、地に足のついた良心的で良識ある医療をていねいに積み重ねてまいります。溢れる情報の海で溺れないよう、本質を見極め整理してわかりやすくお伝えするように努めています。より納得し安心いただけるようお一人お一人の背景などを総合的に考慮し適切な方向性を提示し共に考えていきます。(もちろん手に負えない疾患は近隣の信頼できる病院に紹介いたします)
箕面は北摂の中でも健康意識の高い健康長寿村です。70.80歳台でも昔と違って背筋もぴんと伸び、滝道walkingなど日常を様々に楽しまれている方々を数多く拝見します。定期的に往診させていただいている大正生まれ103歳の方がおられます。「コーラみのお」で50年以上も前に祖父と共に唱っておられましたが今も全くご健在です。その方を筆頭に高齢のお元気な患者様が数多くおられます。人生経験豊かな大先輩やそのご家族からのご相談、とくに超高齢者の介護や手術適応に関する際などは、話は医学にとどまらず自ずと人生観や宗教哲学的な面にまで及ぶこともあります。未だ50代半ばに過ぎぬ自分の未熟な若輩ぶりを痛感し自然と姿勢の正される日々です。どうぞよろしくお願い致します。
座右の銘
☆Stay hungry , Stay foolish (Steve Jobs)
趣味など
・硬式テニス、将棋、DIY、(高校)野球観戦
・探偵ナイトスクープ、NHKのど自慢、
めばえ(ten.)、AMラジオ
・サザンオールスターズ、中島みゆき
・司馬遼太郎、松本清張